115回 原理原則の威力

★人をどうのように遇するか★

稲盛さんは「京セラフィロソフィー」で、『経営とは非常に“シンプル”なもので、その基本はいかにして売上を大きくし、いかにして使う経費を小さくするかということに尽きます。』『利益とはその差であって、結果として出てくるものにすぎません。』『日々創意工夫をこらしながら粘り強く続けていくことが大切なのです。』と言っています。

たしかに「非常にシンプル」なのです。だが、この「シンプル」を実現するについては「『日々創意工夫』をこらしながら『粘り強く続けていく』。」ことが必要であり、この実現については決して容易ではなく“智恵”がなければできない厳しいものです。そこで、稲盛さんは「この厳しさ」に対処するための骨格として「フィロソフィー(行動規範)」を上記も含め28項目も掲げています。

けれども、また逆転させますが「経営」には安易な「王道」などないとしても、行わなければならないことの基盤は至ってシンプルで“あるべき原理原則”に従って「日々創意工夫をこらしながら粘り強く続けていく。」ことであり、稲盛さんの場合は「人間として何が正しいのか」「人間は何のために生きるのか」という根本的な問いより生み出したとしています。

行うについての条件は皆平等で、幸運を継続して享受したければ気まぐれな幸運などに惑わされず“原理原則”を悟るより術はありません。知恵である“原理原則”は、その意味を真に理解しようとするすべての人に、真のアドバンテージ(優位性)を与えると言えます。

それでは“原理原則”とは何か。それは「“外”のマーケティング(顧客の欲求)」及び「“内”のマーケティング(従業員の欲求)」という大命題の的(まと)を外さず「好き」であるとか「使命感」とか「愛」といった“強力なエネルギーの熱源”をバネに「勇気」を持って「一番」を目指してやり続けるということです。これは「起業家」が「経営」を行うについての「焦点」としなければならないもので「そう考え」「そう実行する」すること、それが人をして高い「アドバンテージ」を与えるものと言えます。

この基盤を持たない「思いつき」や「実行」においては、仮にうたかたの「成果」を得たとしても小さいままか霧消してしまいます。“あるべき原理原則”を悟れば“現実の困難性”の中において、真に役立つ「さらなる知恵」も沸き立ってくるというものです。そんなことを今回は、稲盛さんが「どのように考え」「どのようにしたか」を追って見て行こうとします。

ここで述べようとしているのは、第3段階の経営についてなのですが、今回は「人のマネジメント」としてあからさまに考えて行きます。

このことの参考として、連合艦隊司令長官だった山本五十六さんの言葉、「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、“人は動かじ”。」続けて「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、“人は育たず”。」そして「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、“人は実らず”。」と言っているのです。

「人のマネジメント」は、全ては尽きせぬあるべき目標に向かって「人の意欲」をどのように継続して収斂させ続けるかにかかわります。到達点には終わりはありません。到達点したらそれを維持して安定化させ、そこを出発点として永続的な創造と改善とそして異質への「革新」をも必要とします。

「革新」の意味を知る人にとっては、異質が加わるので次にバトンタッチするかクレージーな変人をもマネジメントする識見が必要になります。それを行なおうとするのが、知恵あるトップマネジメントの「仕事」だと思えるのです。経営者が行わなければならない“人”とは何か“経営”とは何か、扱いようによってどのようにでも変幻する「水」のようなもので。なくてはならず、良ければ大きな稔りをもたすが、悪いと何の稔りももたらさず、情況によっては災厄さえもたらしてしまいます。

 

★稲盛さんの場合★

それではここから「“人”の治水工事」について「優良企業:京セラ」のケースを観察しながら、そこに横たっている“エッセンス”を味わって行きたいと思うのです。京セラの「経営理念」とその実践の組織形態である「アメーバ組織」を取り上げて根底にあるものの理解をはかりたいと思います。「京セラ」の経営理念は「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること。」とあります。

この理念には際立った特徴ありますが、それは「人類、社会の進歩発展に貢献」よりも「従業員の幸福」が最優先されていること、それも「“物心”両面」となっていることなのです。「京セラフィロソフィー」について「根本的な問いに真正面から向かい合い、様々な困難を乗り越える中で生み出された」もので「仕事や人生の指針であり、京セラを今日まで発展させた経営哲学です。」としているのですが。

少し、回りくどくもなるのですが、これを知るには創業3年目の春の体験稲盛さんの苦い出来事について語らなければなりません。そもそも創業した当初の目的は、同志7人とともに「自分たちの技術を世に問う」というものでメンバーとともにとにかく必死で働いていました。そんななかで、前年に入社した高卒社員11名が定期昇給やボーナスなどの待遇保証を求めて団体交渉を申し入れてきたのです。

同志7人と新入社員11名とでは、何がどう違うのかに直面したのです。立ち上がってやっと軌道に乗り始めてばかりで、後援者が借金してまで設立した会社を倒産させるわけには行きません。それも「ニューセラミックス」という新天地を開拓する夢があります 。

3Kの工場で必死に格闘しているさなかことで「必ず君たちのためになるようにする」「だまされたと思ったら、俺を刺し殺してもいい」とまで言って交渉はようやく決着しました。この経験は、若い経営者にとっては「悲惨」とも言える出来事だと思うのですが、同じようなことは「ソフトバンク」の孫さんも経験しています。

少し、趣は違うのですが松下幸之助さんも経験されています。どうしようもない「憤り」の「苦難」ですが、驚愕なのは「大いなる夢」を持っている偉大な経営者は、ここで天を観て「覚醒」されます。

稲盛さんは「『会社とはどういうものでなければならないか』ということを真剣に考え続けました。その結果、会社経営とは、将来にわたって社員やその家族の生活を守り、みんなの幸福を目指していくことでなければならない。」ということに気づかさせたそうです。

ただし、生活の糧の獲得については“棚ぼた”や“親方日の丸”に委ねる訳になど行かず、すべて自分の才覚で実現させなければなりません。また、まだ「何も知らない。理解できていない」新入社員11名のままでは「大いなる夢」の協同者として「“物心”両面の幸福」を享受できる従業員に育て上げることなども適いません。

そこで、これからどのような「価値観」と「人間観」と「現実感」を以て、真摯にかつ冷徹に実現するのかを観察し・分析して行きたいと思います。ただ、論理だけではないので謎解きにもなりますので、憶測が多くなるのですが次回に話をすすめさせていただきます。